ローマ人への手紙 4:1-11 日本語話し言葉 1955 (JA1955)

1. それでは、肉によるわたしたちの先祖アブラハムの場合については、なんと言ったらよいか。

2. もしアブラハムが、その行いによって義とされたのであれば、彼は誇ることができよう。しかし、神のみまえでは、できない。

3. なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」とある。

4. いったい、働く人に対する報酬は、恩恵としてではなく、当然の支払いとして認められる。

5. しかし、働きはなくても、不信心な者を義とするかたを信じる人は、その信仰が義と認められるのである。

6. ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている、

7. 「不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、さいわいである。

8. 罪を主に認められない人は、さいわいである」。

9. さて、この幸福は、割礼の者だけが受けるのか。それとも、無割礼の者にも及ぶのか。わたしたちは言う、「アブラハムには、その信仰が義と認められた」のである。

10. それでは、どういう場合にそう認められたのか。割礼を受けてからか、それとも受ける前か。割礼を受けてからではなく、無割礼の時であった。

11. そして、アブラハムは割礼というしるしを受けたが、それは、無割礼のままで信仰によって受けた義の証印であって、彼が、無割礼のままで信じて義とされるに至るすべての人の父となり、

ローマ人への手紙 4