ヘブル人への手紙 7:10-27 日本語話し言葉 1955 (JA1955)

10. なぜなら、メルキゼデクがアブラハムを迎えた時には、レビはまだこの父祖の腰の中にいたからである。

11. もし全うされることがレビ系の祭司制によって可能であったら-民は祭司制の下に律法を与えられたのであるが-なんの必要があって、なお、「アロンに等しい」と呼ばれない、別な「メルキゼデクに等しい」祭司が立てられるのであるか。

12. 祭司制に変更があれば、律法にも必ず変更があるはずである。

13. さて、これらのことは、いまだかつて祭壇に奉仕したことのない、他の部族に関して言われているのである。

14. というのは、わたしたちの主がユダ族の中から出られたことは、明らかであるが、モーセは、この部族について、祭司に関することでは、ひとことも言っていない。

15. そしてこの事は、メルキゼデクと同様な、ほかの祭司が立てられたことによって、ますます明白になる。

16. 彼は、肉につける戒めの律法によらないで、朽ちることのないいのちの力によって立てられたのである。

17. それについては、聖書に「あなたこそは、永遠に、メルキゼデクに等しい祭司である」とあかしされている。

18. このようにして、一方では、前の戒めが弱くかつ無益であったために無効になると共に、

19. (律法は、何事をも全うし得なかったからである)、他方では、さらにすぐれた望みが現れてきて、わたしたちを神に近づかせるのである。

20. その上に、このことは誓いをもってなされた。人々は、誓いをしないで祭司とされるのであるが、

21. この人の場合は、次のような誓いをもってされたのである。すなわち、彼について、こう言われている、「主は誓われたが、心を変えることをされなかった。あなたこそは、永遠に祭司である」。

22. このようにして、イエスは更にすぐれた契約の保証となられたのである。

23. かつ、死ということがあるために、務を続けることができないので、多くの人々が祭司に立てられるのである。

24. しかし彼は、永遠にいますかたであるので、変らない祭司の務を持ちつづけておられるのである。

25. そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。

26. このように、聖にして、悪も汚れもなく、罪人とは区別され、かつ、もろもろの天よりも高くされている大祭司こそ、わたしたちにとってふさわしいかたである。

27. 彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。なぜなら、自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。

ヘブル人への手紙 7