6. それでも、レツィン王はエラテの町を取り戻し、ユダの人々を追い出して、シリヤ人を移住させました。 今もそのままです。
7. アハズ王はアッシリヤのティグラテ・ピレセル王に使者を送り、援軍を要請しました。
8. このために、神殿や宮殿の宝物倉にあった金銀を、贈り物として差し出したのです。
9. そのかいあって、アッシリヤ王はシリヤの首都ダマスコを攻撃し、住民を捕虜として、キルへ連れ去りました。 また、レツィン王は殺されてしまいました。
10. アハズ王はティグラテ・ピレセル王に会うため、ダマスコへ行き、そこで、異教の神殿にある見慣れない祭壇に目を留めたのです。 さっそくその寸法を書き留め、図面を作り、くわしい説明書きとともに、祭司ウリヤに送りました。
13. 祭壇の上に、完全に焼き尽くすいけにえと穀物の供え物とをささげ、さらに注ぎのささげ物を注いでから、和解のいけにえの血を振りかけたのです。
14. それから、これまで神殿の入口にあった青銅の祭壇を、神殿の正面から新しい祭壇の北側に移し変えました。
15. 王は祭司ウリヤに、新しい祭壇の上で、朝ごとの完全に焼き尽くすいけにえと夕べの穀物の供え物、王の完全に焼き尽くすいけにえと穀物の供え物、国民のささげ物、および、これらに添える注ぎのささげ物をささげるように言いつけました。 完全に焼き尽くすいけにえや他のいけにえの血も、新しい祭壇に振りかけられました。 古い祭壇は、もっぱら占い用に使うことになりました。「古い青銅の祭壇は、私が個人的に伺いを立てるために使おう」と、王が言ったからです。
16. 祭司ウリヤは、王の命令どおりにしました。
17. それから王は、神殿にあった車輪つきの台を解体し、横木とその上に載せてあった洗盤を取りはずしました。 また、青銅の牛の背に載せてあった大洗盤を下ろして、敷石の上に置きました。
18. さらに、アッシリヤ王に敬意を表して、宮殿と神殿との間にこしらえた、祝祭用の通路を取りはずしました。
19. アハズ王のその他の業績は、『ユダ諸王の年代記』に記録されています。
20. 王は死んで、エルサレムの旧市街、ダビデの町の王室墓地に葬られ、息子ヒゼキヤが新しく王となりました。