16. ヤロブアム王は罪を犯し、しかもイスラエルの全国民をも巻き添えにしたので、神様はイスラエルを捨てるのです。」
17. 王妃がティルツァに帰り、家の敷居をまたいだとたん、子供は死にました。
18. イスラエル中の人は、その死を悲しみました。 神様が預言者アヒヤによってお語りになったとおりです。
19. ヤロブアム王のその他の業績、彼がどう戦い、どう治めたかなどは、『イスラエル諸王の年代記』に記録されています。
20. ヤロブアムは、二十二年のあいだ王位にあって死に、その子ナダブが跡を継ぎました。
21. その間、ユダでは、ソロモンの子レハブアムが治めていました。 彼は四十一歳で王位につき、神様がイスラエルのすべての町々から、特にご自分の住まいとしてお選びになったエルサレムで、十七年のあいだ治めました。 レハブアムの母はアモン人で、ナアマといいました。
22. レハブアムが王位にある時、ユダの国民は、イスラエル国民と同じように罪を犯し、神様を怒らせました。 その罪は、先祖よりひどいものでした。
23. すべての高い丘の上や木陰に礼拝所を建て、石柱や偶像を立てたのです。
24. また、広く同性愛が行なわれていました。 ユダの国民は、神様が国内から追い払った異教徒のように、堕落してしまったのです。
25. レハブアムが王位について五年目に、エジプトの王シシャクがエルサレムを攻め落としました。
26. シシャクは神殿と宮殿を物色して歩き、ソロモン王の作った金の盾など、めぼしい物はみな手に入れました。
27. 後に、レハブアム王は青銅で代わりの盾を作り、それを宮殿の警護兵にあてがいました。
28. 王が神殿に行く時、警護兵がこの盾を持って王の前を進み、あとで控え室に持ち帰るのです。
29. レハブアム王のその他の業績は、『ユダ諸王の年代記』に記録されています。
30. レハブアム王とヤロブアム王との間には、戦争が絶えませんでした。
31. レハブアム王は死んで、先祖のようにエルサレムに葬られました。 王の母ナアマはアモン人です。 そのあと、息子アビヤムが王となりました。