2-3. そこで、ポント生まれのアクラというユダヤ人と知り合いになりました。 この人は妻プリスキラと連れ立って、最近イタリヤから来たばかりでした。 彼らは、クラウデオ帝が、ローマの全ユダヤ人の追放令を出したため、イタリヤから追い出されたのです。 アクラも、パウロと同じ天幕作りの職人だったので、パウロはその家に同居し、いっしょに仕事を始めました。今からは外国人に
13. 「ローマの法律に反するやり方で、神様を礼拝しろと教える不届き者です」と訴えました。
14. パウロが釈明するより早く、ガリオが口を切りました。 「いいか、ユダヤ人諸君。 犯罪事件なら、諸君の訴えを聞きもしよう。
15. しかし、これは何だ。 ことばの解釈とか、人物批判とか、諸君のばかげたおきてに関する事ばかりではないか。 そんなことは、自分たちで始末をつけるがよかろう。 私にはどうでもいいことだし、かかわりになりたくもない。」
16. これだけ言うと、ガリオは、さっさと人々を法廷から追い出しました。
17. 暴徒どもは、腹立ちまぎれに会堂の新しい管理人ソステネを捕らえ、法廷の外で打ちたたきました。 しかしガリオは、そんなことには、まるで無関心でした。
18. このあとも、パウロはコリントにとどまりましたが、しばらくすると、クリスチャンたちに別れを告げ、プリスキラとアクラを連れて、船でシリヤに向かいました。 パウロはこの時、一つの誓いを立てていたので、ケンクレヤで頭をそりました。 そうするのが、ユダヤ人の習慣だったのです。
19. 一行がエペソに着くと、パウロは、二人を船に残したまま会堂へ出かけ、ユダヤ人たちと議論を戦わせました。
20-21. 「もう少し、いてくださいませんか」と頼まれましたが、そんな余裕はありません。 「せっかくですが、どうしても祭りまでにエルサレムへ行かなければならないので、ちょっと……」と断わるほかありませんでした。 機会さえあれば、また必ず来ると約束して、一行は船旅を続けました。
22. やがて、船はカイザリヤに着き、上陸したパウロは、まずエルサレムの教会を訪問し、皆にあいさつしてから、アンテオケに向かいました。