17. ところで、私たちは神様の子供なのですから、神様の財産の分け前をいただくのです。 神様がひとり息子イエスにお与えになったものは、今では私たちのものでもあるからです。 しかし、私たちが神の子の栄光を共に受けるのなら、当然、その苦難をも受けなければなりません。
18. けれども、私たちがいま味わっている苦しみなどは、後にいただく栄光に比べたら、取るに足りないものです。
19. 神様がお造りになったものはみな、やがて神の子供たちが復活させられる日を、忍耐と希望をもって待ち望んでいます。
20-21. その日には、いばらやあざみ、罪、死、腐敗など〔この世界は、神様のご命令により、不本意ながら、これらのものに支配されていますが〕は跡形もなく消え去り、私たちを取り巻く世界は、神の子供たちが喜びをもって味わう、罪からの輝かしい解放にあずかるからです。
22. 動物や植物のような自然界のものでさえ、このすばらしい日を待ち望みながら、病気や死の苦しみにうめいていることを、私たちは知っています。
23. そればかりか、クリスチャンでさえ、聖霊様を自分のうちにいただいて、将来の栄光を先取りしているにもかかわらず、苦しみと悩みから解放されたいとうめいています。 また、神様の子供としての完全な権利が与えられるその日を、ひたすら待ちこがれています。 その日には、神様が約束してくださった新しい体、すなわち、もはや病気にかかることも死ぬこともない体をいただくのです。