2-3. もちろん、絶対にそんなことはありません。 罪を犯さないでいられるようになったのに、なおも罪を犯し続けてよいでしょうか。私たちがクリスチャンになり、バプテスマ(洗礼)を受けてキリスト・イエスの体の一部となった時に、罪の支配力は打ち破られてしまったのです。 すなわち、キリスト・イエスの死によって、あなたがたの罪深い性質は打ち砕かれ、力を失ったのです。
13. 体のどんな部分をも、罪を犯すための悪の道具にしてはいけません。 むしろ、自分自身――あなたがたの全肢体――を、完全に神様にささげなさい。 なぜなら、あなたがたは、死人の中から生かされた者であり、神様の思いのままに使っていただく道具として、神様の良い目的に役立とうと願っているからです。
14. 罪は、二度とあなたがたを支配しません。 なぜなら、あなたがたはもう、おきて〔このおきてを手段として、罪はあなたがたを奴隷にしたのです〕に束縛されてはおらず、神様の恵みとあわれみの下にあって、自由の身となっているからです。
15. それでは、どうなのでしょう。 おきてを守ることによってではなく、神様の恵みを受けることによって救われるのであれば、「かまわないから、どんどん罪を犯そう」ということになるのでしょうか。 絶対にそんなことはありません。
16. 知らないのですか。 自分の主人は自分で選べるのです。 〔死を伴う〕罪を選ぶこともできれば、〔無罪の宣告を伴う〕従順を選ぶこともできます。 だれかに自分をささげれば、その相手があなたがたを受け入れて主人となり、あなたがたはその奴隷となるのです。
17. 神様に感謝すべきことに、あなたがたは、以前は罪の奴隷になる生き方を選んでいましたが、今では、神様からゆだねられた教えに心から従う者となりました。
18. 今やあなたがたは、罪という古い主人から解放されて、正しさという新しい主人の奴隷になっているのです。
19. このように奴隷と主人の例をあげてお話しするのは、そのほうが、わかりやすいからです。 あなたがたは、かつて、あらゆる罪に仕える奴隷であったように、今は、あらゆる正しいこと、きよいことに仕える奴隷にならなければなりません。
20. あなたがたは、罪の奴隷であった時には、良いことについては無関心でした。
21. その結果はどうだったでしょうか。 明らかに、かんばしくないものでした。 だからこそ、かつて自分がしていたことを考えるだけでも、恥ずかしくなるのです。 その行き着くところは、永遠の滅びです。
22. しかし今は、罪の力から解放されて、神様の奴隷になっています。 そして、神様があなたがたに下さる恵みによって、きよくされ、永遠のいのちがある者とされるのです。
23. 罪の支払う報酬は死です。 しかし、神様が、ただで下さる贈り物は、私たちの主キリスト・イエスによる永遠のいのちです。