1. では、神様がますます私たちを恵み、赦し続けることができるように、私たちは罪を犯し続けるほうがよいのでしょうか。
4. 罪を愛する古い性質は、キリスト様が死なれた時、バプテスマによって、キリスト様と共に葬り去られました。 そして、父なる神が、栄光の力でキリスト様を復活させてくださった時、あなたがたは、キリスト様のすばらしい新しいいのちを与えられ、そのいのちに生きる者となりました。
5. あなたがたはキリスト様の体の一部として、キリスト様が死なれた時、いわば、いっしょに死んだのです。 そして今は、キリスト様の新しいいのちをいただいており、やがてキリスト様と同じように復活するのです。
6. あなたがたの古い邪悪な欲望は、キリスト様といっしょに十字架につけられました。 罪を愛する部分は、打ち砕かれ、致命傷を負いました。 それは、罪を愛する体が、もはや罪の支配を受けず、二度と罪の奴隷にならないためです。
7. 罪に対して死んでしまえば、どんな罪の誘惑や力からも自由にされるはずだからです。
8. 罪を愛する古い性質が、キリスト様といっしょに「死んだ」のですから、確かにあなたがたは、キリスト様の新しいいのちを共有しているのです。
9. キリスト様は死人の中から復活し、もう二度と死ぬことはありません。 死には、もはやキリスト様を支配する力がないのです。
10. キリスト様は、罪の力にとどめを刺すために、ただ一度死なれました。 しかし今では、神様との絶えることのない交わりの中に、永遠に生きておられます。
11. ですから、あなたがたの古い罪の性質を、罪に対して死んだもの、反応しなくなったものとみなしなさい。 そして、その代わりに、私たちの主イエス・キリストによって、神様に対して生きる者、敏感に応答する者となりなさい。
12. これからはもう、あなたがたの短命な体を罪の支配にゆだねてはいけません。 罪深い欲望に従ってはいけません。
13. 体のどんな部分をも、罪を犯すための悪の道具にしてはいけません。 むしろ、自分自身――あなたがたの全肢体――を、完全に神様にささげなさい。 なぜなら、あなたがたは、死人の中から生かされた者であり、神様の思いのままに使っていただく道具として、神様の良い目的に役立とうと願っているからです。
14. 罪は、二度とあなたがたを支配しません。 なぜなら、あなたがたはもう、おきて〔このおきてを手段として、罪はあなたがたを奴隷にしたのです〕に束縛されてはおらず、神様の恵みとあわれみの下にあって、自由の身となっているからです。
15. それでは、どうなのでしょう。 おきてを守ることによってではなく、神様の恵みを受けることによって救われるのであれば、「かまわないから、どんどん罪を犯そう」ということになるのでしょうか。 絶対にそんなことはありません。
16. 知らないのですか。 自分の主人は自分で選べるのです。 〔死を伴う〕罪を選ぶこともできれば、〔無罪の宣告を伴う〕従順を選ぶこともできます。 だれかに自分をささげれば、その相手があなたがたを受け入れて主人となり、あなたがたはその奴隷となるのです。