7. さて、実情はこうです。 大部分のユダヤ人は、追い求めていた神様の恵みを、得ることができませんでした。 恵みを得たのは、神様に選ばれた少数の者だけでした。 ほかの人々は盲目にされてしまったのです。
8. 旧約聖書に次のように記されているのは、このことなのです。「神様は彼らを眠らせ、目と耳とをふさがれた。それゆえ、キリスト様のことを語りかけても、彼らにはわからない。今日までその状態は続いている。」
9. ダビデ王も同じことを言っています。「食卓のごちそうや、さまざまの祝福は彼らのわなとなれ。 彼らを、『神様とは万事うまくいっている』という思いにさせよ。これらの良いものがはね返って来て、彼らの頭上に落ち、当然の報いとして彼らを押しつぶすがいい。
10. 彼らの目は見えなくなれ。重荷を負わされて、いつまでも背中を曲げたまま歩くがいい。」
11. これは、神様がご自分の民であるユダヤ人を退けてしまわれたことを意味するのでしょうか。 絶対にそんなことはありません。 神様の目的は、このことによって神様の救いが外国人にも及び、その結果、ユダヤ人がねたんで、自分でも救いを求めるようになることにあったのです。
12. ところで、考えてもごらんなさい。 ユダヤ人が神様の救いにつまずき、それを拒んだ時、全世界が豊かに恵まれたのです。 とすれば、後にユダヤ人もキリスト様に立ち返る時には、どんなに大きく、すばらしい祝福が、この世に与えられることでしょう。
13. ご存じのように、神様は私を、あなたがた外国人への特使に任命してくださいました。 私はこのことを非常に重んじており、できるだけ多くの機会をとらえては、そのことをユダヤ人に思い出させるようにしています。
14. 何とかして、ユダヤ人にも、あなたがた外国人が持っているものを求めさせ、幾人かでも救いたいのです。
15. ユダヤ人がクリスチャンになったら、どんなにすばらしいでしょう。 神様がユダヤ人から御顔をそむけたために、神様の救いが、世界のユダヤ人以外の人々に差し出されたのです。 とすれば、ユダヤ人がキリスト様に立ち返るなら、もっとすばらしいことが起こります。 それはちょうど、死人が生き返るようなものです。
16. アブラハムや預言者は神様の民なのですから、その子孫もまた、神様の民となるはずです。 木の根がきよければ、その枝もきよくなるはずだからです。
17. ところが、アブラハムという木の幾枝か――すなわちユダヤ人のある者――は折り取られてしまいました。 そして、いわば野生のオリーブの木の枝であった外国人のあなたが、それにつぎ木されました。 それで今、あなたも、神がオリーブの木に注がれる、特別豊かな滋養分にあずかって、アブラハムとその子孫とに約束された祝福をいただいているのです。
18. しかし、折り取られた枝の代わりにつぎ木されたことを自慢しないように、注意しなさい。 あなたが重要なのは、ただ神様の木の一部になっているからです。 このことを忘れてはなりません。 あなたは、ただの枝であって根ではないのです。
19. あなたは「前の枝が折り取られたのは、私に場所を譲るためだった。 とすれば、私はかなりいい人間に違いない」と考えるかもしれません。
20. 気をつけなさい。 ユダヤ人のその枝が折り取られたのは、神様を信じなかったからであり、あなたがつぎ木されたのは、ただ神様を信じたからにほかなりません。 このことを忘れないようにしなさい。 高慢になってはいけません。 むしろ、謙虚になり、感謝する人になりなさい。 また、注意深くなければなりません。
21. もし神様がもとの木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。
22. 神様がどんなに恵み深く、また、どんなにきびしい方かを考えなさい。 不従順な者には、非常にきびしい方ですが、神様を愛し、信じ続ける者には、とても恵み深いお方です。 しかし、もしそうしないなら、あなたもまた、折り取られてしまうのです。
23. 一方、ユダヤ人が不信仰な生き方をやめて神様に立ち返るなら、神様はまた、もとの木についでくださいます。 神様には、そうする力があるのです。
24. あなたは、野生のオリーブの木の一部として、神様から遠く離れた存在でしたが、神様は喜んで受け入れ、ご自分の良い木についでくださったのです。 これは異例のことです。 とすれば、もともとその木の枝であったユダヤ人にはどうでしょう。 もっとたやすく、もとの木につぎ木しようと、構えておられるのではないでしょうか。
25. 愛する皆さん。 この神様の真理を知っていただきたいのです。 そうすれば、高ぶったり、自慢したりすることもないでしょう。 確かに、今のところ、ユダヤ人のある者は、神様の良い知らせに反対しています。 しかし、そのような状態が続くのは、あなたがた外国人のうち、そう願う者がすべて、キリスト様のもとに来る時までにすぎません。
26. その時が来れば、イスラエル人はみな救われます。このことについて、預言者は何と言っているでしょう。「一人の救い手がシオンから出て、ユダヤ人をあらゆる不敬虔から立ち返らせる。
27. その時わたしは、約束どおり、彼らの罪を取り除く。」