1. では神様はご自分の民であるユダヤ人を退け、見捨ててしまわれたのでしょうか。 とんでもない。 決してそんなことはありません。 この私もユダヤ人であり、アブラハムの子孫、ベニヤミン族の一人であることを、忘れないでください。
4. それに対して神様が何とお答えになったか、覚えていますか。「いや、あなただけではない。 わたしには、なおもわたしを愛し、偶像を拝んだことのない人が、ほかに七千人いる。」
5. 今でも同じことが言えます。 ユダヤ人の全部が神様から離れ去ったわけではありません。 神様の恵みによって選ばれ、救われている人々が、少数ながらいるのです。
6. しかし、それは神様の恵みのおかげであり、彼らが善良だからではありません。 そうでなければ、ただであるはずの贈り物が、もはやただでなくなってしまいます。かせいで手に入れるのであれば、ただとは言えません。
7. さて、実情はこうです。 大部分のユダヤ人は、追い求めていた神様の恵みを、得ることができませんでした。 恵みを得たのは、神様に選ばれた少数の者だけでした。 ほかの人々は盲目にされてしまったのです。
8. 旧約聖書に次のように記されているのは、このことなのです。「神様は彼らを眠らせ、目と耳とをふさがれた。それゆえ、キリスト様のことを語りかけても、彼らにはわからない。今日までその状態は続いている。」
9. ダビデ王も同じことを言っています。「食卓のごちそうや、さまざまの祝福は彼らのわなとなれ。 彼らを、『神様とは万事うまくいっている』という思いにさせよ。これらの良いものがはね返って来て、彼らの頭上に落ち、当然の報いとして彼らを押しつぶすがいい。
10. 彼らの目は見えなくなれ。重荷を負わされて、いつまでも背中を曲げたまま歩くがいい。」
11. これは、神様がご自分の民であるユダヤ人を退けてしまわれたことを意味するのでしょうか。 絶対にそんなことはありません。 神様の目的は、このことによって神様の救いが外国人にも及び、その結果、ユダヤ人がねたんで、自分でも救いを求めるようになることにあったのです。
12. ところで、考えてもごらんなさい。 ユダヤ人が神様の救いにつまずき、それを拒んだ時、全世界が豊かに恵まれたのです。 とすれば、後にユダヤ人もキリスト様に立ち返る時には、どんなに大きく、すばらしい祝福が、この世に与えられることでしょう。
13. ご存じのように、神様は私を、あなたがた外国人への特使に任命してくださいました。 私はこのことを非常に重んじており、できるだけ多くの機会をとらえては、そのことをユダヤ人に思い出させるようにしています。
14. 何とかして、ユダヤ人にも、あなたがた外国人が持っているものを求めさせ、幾人かでも救いたいのです。
15. ユダヤ人がクリスチャンになったら、どんなにすばらしいでしょう。 神様がユダヤ人から御顔をそむけたために、神様の救いが、世界のユダヤ人以外の人々に差し出されたのです。 とすれば、ユダヤ人がキリスト様に立ち返るなら、もっとすばらしいことが起こります。 それはちょうど、死人が生き返るようなものです。
16. アブラハムや預言者は神様の民なのですから、その子孫もまた、神様の民となるはずです。 木の根がきよければ、その枝もきよくなるはずだからです。