ローマ人への手紙 10:2-14 リビングバイブル (JLB)

2. 私は、彼らが神様の誉れをどんなに熱心に求めているか、よく知っています。 しかし、それは見当違いの熱心なのです。 

3. というのも、彼らには、キリスト様が自分たちを神様の前に正しい者とするために死んでくださったことが、わかっていないからです。 そして、ユダヤ教のおきてや習慣を守ることによって、神様の祝福をいただける善良な人間になろうと、努力を重ねています。 しかし、神様はそんな方法でお救いになるのではありません。 

4. 彼らが、おきてを守ることによって手に入れようとしているものすべてを、キリスト様は、ご自分を信じる人々に与えてくださいます。 そのことを、彼らは悟っていないのです。 キリスト様は、おきてをすべて終結させたのです。

5. モーセは、「もし人が、非の打ちどころなく善良であり、一生涯、誘惑にも負けず、ただの一度も罪を犯さずにいられるなら、その時はじめて救われる」と書いています。 

6. しかし、信仰を通して与えられる救いは、こう教えてくれます。 「あなたは、キリスト様を見つけようと天を捜し回る必要も、助けていただこうと引き降ろす必要もない。」 

7. また、「キリスト様をもう一度復活させようと、死人の中を歩き回る必要もない。」

8. というのは、キリスト様を信じることによって与えられる救い〔私たちが宣べ伝えているのは、まさしくこの救いです〕は、すでに、私たちのすぐ手の届く所にあるからです。 実際それは、自分の心や口のように、すぐ近くにあるのです。 

9. なぜなら、もし自分の口で「イエス・キリストは私の主です」と告白し、自分の心で、神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 

10. 人は、心で信じることによって、神様から正しい者とされ、その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。 

11. 聖書は私たちに、「キリスト様を信じる者は、決して失望させられることがない」と教えています。 

12. この点では、ユダヤ人もそれ以外の外国人も同じです。 同じ主がユダヤ人にとっても外国人にとっても主であり、求める者にはだれにでも、ご自分の宝を惜しみなく与えてくださるのです。 

13. 主の御名を呼び求める者は、だれでも救われるのです。

14. しかし、主を信じていなければ、どうして主に、「救ってください」と求めるでしょうか。 また、主のことを一度も聞いたことがなければ、どうして主を信じることができるでしょうか。 だれかが教えてくれなければ、どうして主のことを聞けるでしょうか。 

ローマ人への手紙 10