4. 私たちの罪をお赦しください。私たちも、私たちに罪を犯した者を赦します。私たちを誘惑に会わせないでください。」
7. 友達は何と答えるでしょう。 中から、『おいおい、かんべんしてくれよ。 いま何時だと思ってんだい。 戸じまりもしてしまったし、もうみんな寝てるんだ。 何も出してやれないよ』とどなり返すだけかもしれません。
8. だが、これだけは言えます。 友達だからというのでは何もしてくれなくても、しつこくたたき続けるなら、その根気に負けて、必要な物をみな出してくれるでしょう。
9. 祈りも同じです。 あきらめずに、求め続けなさい。 そうすれば、与えられます。 捜し続けなさい。 そうすれば、見つかります。 戸をたたきなさい。 そうすれば、開けてもらえます。
37-38. 話が一段落したところで、あるパリサイ人が、イエスを食事に招待しました。 イエスは誘われるまま彼の家に行き、食卓に着かれました。 ところが、その時、なぜか手をお洗いになりません。 この儀式は、ユダヤでは必ず行なう習慣でしたので、家の主人は全く意外だという顔つきで、まじまじとイエスをながめました。
39. イエスは、おっしゃいました。 「あなたがたパリサイ人は、確かに外側はきれいに洗います。 しかし、内側はどうですか? 汚れたままで、貪欲や悪意がいっぱいではありませんか。
40. 愚かな人たちです。 神は外側だけを造られたのですか。 もちろん、そんなことはありません。 神はちゃんと内側も造られたのです。
41. 内面のきよさは行ないに表われます。 たとえば、どれだけ親切に、貧しい人たちを助けてあげるかによって、はっきりするのです。
42. あなたがたパリサイ人は、実にいまわしいものです。 どんなわずかな収入でも、実にきちょうめんに十分の一をささげていながら、正義と神を愛することとは、きれいさっぱり忘れているのですから。 もちろん、十分の一献金は大いにけっこうです。 しかし、もっと大切なことをなおざりにしては意味がありません。
43. あなたがたパリサイ人は、実にいまわしいものです。 会堂で特別席に座ったり、市場を歩いていて、みんなからていねいなあいさつを受けたりするのが、何よりの楽しみなのですから。
44. そんなあなたがたを待ちかまえているのは何でしょう。 そう、恐ろしいさばきです。 あなたがたはまるで、野原にある、人目につかない墓みたいです。 人々は、汚れたものが近くにあるとは気づかず、平気であなたがたのそばを通り過ぎるのです。」
45. そばに立って話を聞いていた法律の専門家が、我慢がならないといったふうに、食ってかかりました。 「失礼ですが、おことばがすぎませんか。 私たちまで侮辱なさるとは。」
46. イエスは、言われました。 「そうではありません。 あなたがたにも恐ろしいさばきが待ち受けているのです。 とうてい実行できない命令を与えて、人々を押しつぶしておきながら、自分は守ろうともしないのですから。
47. あなたがたも、いまわしいものです。 昔、預言者を殺した先祖と、全くよく似ています。
48. 人殺しとちっとも変わりません。 ずうずうしくも、先祖が殺した預言者の記念碑を建て、『ご先祖様は正しかった』と認めているのですから。 だから、あなたがただって、きっと同じことをしたでしょう。
49. あなたがたのことを、神はこう言っておられます。 『わたしは、預言者や使徒たちを派遣します。 しかしあなたがたは、彼らを殺したり、迫害したりするのです。』