20. だったら教えてくださいよ。 ユダヤ人は、礼拝の場所はエルサレムだけだと言いはるし、サマリヤ人は、あたしたちのご先祖様が礼拝した、このゲリジム山だと言ってる。 どうしてなんです?」
21-24. 「いいですか。 父なる神を礼拝する場所は、この山か、それともエルサレムか、などとこだわる必要のない時が来るのです。 大切なのは、どこで礼拝するかではありません。 どのように礼拝するかです。 霊的な、真心からの礼拝をしているかどうかが問題なのです。 神は霊なるお方だから、正しい礼拝をするには、聖霊の助けが必要です。 神はそのような礼拝をしてほしいのですよ。 あなたがたサマリヤ人は、神のことはほとんど何も知らないで礼拝していますが、私たちユダヤ人はよく知っています。 救いはユダヤ人を通してこの世に来るのですから。」
25. 「そりゃあね、キリストと呼ばれるメシヤ(救い主)様がおいでになることだけは、知ってますよ。 その方がおいでになれば、いっさいのことを説明してくださるんでしょう。」
26. 「わたしがそのメシヤです。」
27. ちょうどその時、弟子たちが戻って来ました。 驚いたことに、イエスは女と話しておられるではありませんか。 しかし、どうしてなのか、何を話していらっしゃるのか尋ねた者はいませんでした。
28. 女は、水がめを井戸のそばに置いたまま村に帰り、会う人ごとに話しかけました。
29. 「ねえねえ、来て、会ってごらんよ。 あたしのしてきたことを、何もかも言い当てた方がいるのさ。 あの方こそ、キリスト様に違いないよ。」
30. この誘いに村人たちは、イエスに会おうと、ぞくぞく押しかけました。