8. あなたがたは、神様の寛容さのゆえに、キリスト様を信じることによって救われたのです。 しかも、そのキリスト様を信じることすらも、あなたがたから自発的に出たことではありません。 それもまた、神様からの贈り物なのです。
9. 救いは、私たちの良い行ないに対する報酬ではありません。 ですから、だれ一人、それを手柄として誇ることはできません。
10. 私たちをこのように造り、キリスト・イエスによる新しい生活に入れてくださったのは、神様です。 この新しい生活は、神様がずっと以前から計画してくださったものであり、私たちが互いに助け合って過ごすためのものです。
11. あなたがたも、以前は異教徒として、ユダヤ人からは、神様を信じない「汚れた者」と呼ばれていた自分を、決して忘れてはなりません。 〔もっとも、そういうユダヤ人も、神様を敬うしるしとしての割礼(男子が生まれて八日目にその生殖器の包皮を切り取る儀式)を受けて、信心深そうに儀式や礼拝を守っていたとはいえ、心は汚れたままだったのですが。〕
12. 思い出してもごらんなさい。 そのころのあなたがたは、キリスト様とは全く無縁な生き方をしていました。 神様の子供となった人々には敵対し、神様から、何の助けも約束されていませんでした。 神様もなく、望みもない、滅びる以外にない存在でした。
13. しかし今では、キリスト・イエスに属する者となっています。以前は、神様から遠く離れていたあなたがたも、キリスト・イエスがその血によって成し遂げてくださったことのゆえに、今では、神様のそば近くに引き寄せられているのです。
14. キリスト様こそ、私たちの平和の道です。 この方は、私たちユダヤ人とあなたがた外国人とを一つの家族とし、両者を隔てていた軽べつという壁を打ちこわして、平和をつくり出してくださいました。
15. つまり、ご自分の死によって、相互の激しい敵意を、除いてくださったのです。 その敵意の原因とは、ユダヤ人を特別扱いし、外国人をのけ者にする、ユダヤ教のおきてでした。 そのおきて制度全体を無効にするために、キリスト様は死んでくださったのです。 そして、それまで互いに対立していた二つのグループを、それぞれ自分の手とし、足とされました。 こうして、私たちを融合させて、新しい一人の人間をつくられたのです。 ついに平和が実現しました。
16. 私たちが同じ体のそれぞれの器官になったので、互いの怒りは消え去りました。 両者とも、神様と和解したからです。 こうして、反目は、十字架によって、ついに終わりを告げたのです。
17. そして、キリスト様は、遠く離れていたあなたがた外国人にも、近くにいた私たちユダヤ人にも、この平和の良い知らせを、もたらしてくださいました。
18. キリスト様が成し遂げてくださったことのゆえに、ユダヤ人も外国人もみな、聖霊様に助けられつつ、父なる神のもとに行けるのです。
19. 今、あなたがたは、もはや神様にとって見知らぬ他国人でも、天国に縁のないよそ者でもありません。 神の家族の一員であり、神の国の市民なのです。 すべてのクリスチャンと共に、神の一家を構成しているのです。
20. あなたがたは今、使徒と預言者という土台の上に立っています。 しかも、この建物の最も重要な土台石は、キリスト・イエスです。