1-2. 九月になると、帰還者たちがめいめいの故郷から、エルサレムに集まって来ました。 エホツァダクの息子ヨシュアは、仲間の祭司や、シェアルティエルの息子ゼルバベル、およびその氏族の者とともに、イスラエルの神様の祭壇を築き、神の人モーセのおきてどおり、完全に焼き尽くすいけにえをささげました。
3. 祭壇を元の位置にすえ、さっそく、朝に夕に、完全に焼き尽くすいけにえをささげることにしました。 人々は周囲の国々からの攻撃を恐れていたからです。
4. モーセのおきてどおり仮庵の祭りを守り、祭りのあいだ毎日、定められた完全に焼き尽くすいけにえをささげたのです。
5. このほか、安息日、新月の祝い、種々の例祭のため、定められた品々をささげました。 また、国民は自発的にいけにえをささげました。
6. 祭司がいけにえをささげ始めたのは、九月十五日でした。 まだ神殿の土台が築かれる前のことです。
7. 次いで、石工や大工が雇われました。 ツロやシドンからは杉材を買いつけ、食料品、ぶどう酒、オリーブ油などを代金にあてました。杉材はレバノン山から切り出し、地中海沿岸を海路ヨッパまで運びました。 このことについては、クロス王も許可済みだったからです。
8. 実際に神殿再建が開始されたのは、帰還の翌年の四月のことでした。 帰還者たちが勤労奉仕をし、ゼルバベル、ヨシュア、およびその仲間の祭司やレビ人の指揮のもとで働き続けました。 二十歳以上のレビ人は現場監督にあたり、
9. この一大事業の総責任は、ヨシュア、カデミエル、ヘナダデはじめ、その息子や親族が負うことになりました。 みな、レビ人でした。
10. 神殿の土台が完成した時、ダビデ王の定めた様式にのっとって、祭司は祭服を着てラッパを吹き鳴らし、アサフの子孫はシンバルを打ち鳴らして、神様を賛美しました。